北海道博物館で「夷酋列像」を観る

雑記
09 /09 2015
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2015年4月に北海道開拓記念館をリニューアルして開館した「北海道博物館」に、「夷酋列像」(いしゅうれつぞう)展を観に行ってきました。

描いたのは江戸時代、最北にして蝦夷地唯一の藩、松前藩の家老、蠣崎波響〔かきざき・はきょう〕(1764-1826)です。

幼くして江戸で絵を学び、20歳に時に松前に帰郷。1789年に釧路根室地方から現在の北方領土、国後(くなしり)島にかけて起こったアイヌ民族の蜂起「クナシリ・メナシの戦い」の翌1790年、藩主の命で松前藩に協力した12人のアイヌの酋長を「夷酋列像」として描きました。

波響は1791年に上洛して、時の光格天皇の天覧を仰ぐ栄誉に浴するほか、様々な文人らと交流を重ねます。その後、原本は行方知れずになりますが、昭和59年、波響の直筆12点のうち11点がフランス、ブサンソン美術考古学博物館に収蔵されていることが判明したそうです。

今回の展覧会は、北海道博物館開館記念として、この原本11点と各地の模写が勢ぞろいするという貴重なものです。

前置きが長くなりましたが、絵は好奇心そそられる風貌、多彩な構図、精緻な筆。蝦夷地の小藩の人間の作と知って、上方の文人たちが驚いたのは想像に難くありません。創造で描き、着ている服などもかなりデフォルメされているとの見方もあるようですが、当時の人のインパクトのすごさからか、模写も多く作られたようです。

左はアッケシ(現・厚岸町)の酋長イコトイ、右がクナシリ(現・国後島)の酋長ツキノエ。
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今回興味深かったのは、なぜこの絵が描かれたか。学芸員さんのお話では、勇猛果敢でいかにも”強そうに”描かれているアイヌを統治している松前藩こそ強いことを表すねらいがあったのではないか。ようは統治能力をアピールしたのではないかとのことです。

見た後で、どうしても疑問に思ったのは、どうしてツキノエたちはなぜ和人に協力したのか。これは簡単ではありませんね。ネットをみても諸説あるようです。

最後に「クナシリ・メナシの戦い」の「メナシ」。知床のある羅臼(らうす)町一帯の「目梨郡」はアイヌ語由来だったことを初めて知りました。

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